ザ・モーハワイ

ザ・パック&タマリカツアー共同企画、『ザ・ツアー~オアフ島食い倒れコース~』を催行いたしました。ザ・太郎は機長ということで、半日運転しまくりです。コ・パイの的確なナビゲートで、無事に乗務を終えることが出来ました。ワイキキ‐ワイアラエ‐アイナハイナ‐ワイマナロ‐ノースショア(東回り)‐ワヒアワ‐アイエア‐パールリッジ‐空港‐ヌウアヌ‐タンタラス(写真)‐イリカイハーバー‐カピオラニ公園というルートのツアー、半日で10件のお店を制覇しました。モーハワイ史上、稀に見るグルメ・ツアーかもしれません(大げさ)。今後、旅の詳細はタマリカ★通信にて紹介される予定です。ザ・ブログでは、ザ・太郎が今までに紹介していないお店を取り上げてまいります。


ザ・太郎、敗北いたしました。これからタマリカ師匠と呼ばさせて頂きます。詳しい模様は、タマリカ★通信(
リンク)でご覧いただけます。MAC24/7(
リンク)へタマリカ師匠とKCC男と行ってきました。ここのパンケーキ、ありゃ怪物です。人間の食う量じゃありません…はい。それを何食わぬ顔で食い続けるタマリカ師匠、ザ・太郎は負けを認めざるを得ませんでした…。みなさん、ここで宣言いたします。本当の大食いはタマリカ師匠でございます。ザ・太郎は「中食い」ぐらいです。しかし、大食いでも太っとらん師匠が羨ましい…。
※機長より追加
左の男は、KCC男です。こいつは「小食」でした。

編集長と営業マンだったたかしくんの取材についていったときの話…、ザ・太郎の似顔絵を書くということになりました。この写真が、その時の作品。左がたかしくん作、右が編集長作でございます。両方とも特徴をよく捉えております。近々、このアフロもどきの爆発ヘアーを伐採する予定です♪前に切ったのは日本におった時やから、今年の1月。半年以上伸ばしとったんか…。伸びれば伸びるほど髪はクルクルと上に向っていきます。吉田拓郎の「結婚しようよ」で、
僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったら~♪という歌詞がありますが、ザ・太郎の場合、肩まで伸びた頃には大変なことになっとるわい(察するにサイババ状態)。


写真付モーハワイ編集記やいろんな方のブログで報告されていますが、昨夜、「夏の家」にてモーハワイの宴会がありました。企画、進行をしたモーハワイスタッフの皆さんのおかげで、食って呑んで喋って…とても楽しい一夜でした。料亭「夏の家」(旧・春潮楼)といえば、日本の外交官に扮したスパイが真珠湾の動向を監視していた場所。どんな気分で真珠湾辺りを見てたんやろう…とひとり感慨に耽っておりました。その写真はこちら(
リンク)。このお部屋からはホノルル空港が綺麗に見渡せます。タキシーウェイやランウェイの灯り、
ジェット機の翼に点滅するランプがとても綺麗です。その他、楽しいゲームなどもあり、非常に充実した一夜でございました。ブッフェスタイルの夕食、食い過ぎたという事は言うまでもありません(うぇっぷ…)
※機長よりお礼
「つのだ☆ひろチーム」の皆さま、ゲーム中にわけの分からん解答に付き合ってくださり、誠にありがとうございました&ご迷惑お掛けしました。

ムナゾーさんたちとの出逢いは前章(
リンク)で書きました。その出逢いから二ヵ月後ぐらいのことでしょうか、オフィスへお邪魔したときの事。編集長はちょうど日本へ帰って不在やったので、ムナゾーさんと「県人会」の企画についてお話をしました。ハワイの日系人の歴史、自分の故郷である大分県からどんな人がハワイに来て活躍されているのか知りたい、そして自分も可能であれば県人会に入ってみたい、というのが動機でした(不純やないでしょ?)。 そして、その時に「県人会を追う」の序章が始まる…はずやったんですが…。モーハワイがとても忙しい時期で、この案は約三ヶ月間の「保温期間」へ突入しました(なんじゃそら)。 その後、保温期間に痺れを切らしたザ・太郎は、再びモーハワイのオフィスへ殴り込みへ行きました(いや、ただお話をしに行っただけ)。 もし「県人会を追う」が正式にローンチされるのなら、休暇で大分へ帰省した際に情報を集めてくる…という事を話しに行きました。編集長とムナゾーさんと簡単なミーティングを行い、編集長の快諾の下、「県人会を追う」がようやく動き始めました。と同時に、「俺がこんなすごい事やって良いんやろか?」と期待と不安が入り混じった気持ちでギャラリアビルを後にしました。次章へ続く…。
※写真:県人会の皆さんと。(2008年4月)

ザ・太郎とモーハワイ。vol.1から、随分と時間が経ちました。では、vol.2へ…。ハワイへは毎年のように旅行に来てました。そして2004年8月、ザ・太郎は留学のためハワイへ上陸しました…いや、流れ着いたんか?住んでみると、このモーハワイの情報はより役に立ちます。実際にハワイ在住のスタッフの方たちが、それぞれの視点でハワイを紹介しているから。そして、ある事件がきっかけでザ・太郎はモーハワイへと入り込んでいきます。その事件とはあの「高橋果実店」の閉店。ザ・太郎はこのお店に毎週通っていて、ヘンリーさん(オーナー)ともいつも他愛もない会話をして、馴染みの店でした。それが…突然の閉店。ザ・太郎はその第一報をモーハワイの掲示板に書き込んだのです。それは
モーハワイ編集記にも取り上げられました。この一連の出来事が小隊長ムナゾーさんとの出逢い。とある日、101.1FMのサテライトスタジオに行った際に、ムナゾーさんと編集長に初対面。実はその時にコラムのお願いをされましたが、まだ漠然とし過ぎて何を書いていいか分からなかったので辞退しました(涙) そして、前からに気になっていた「大分県人会」をモーハワイで…と思うようになったのもこの時期でした。 次章へ続く…。


今日は、ハワイ大分県人会の総会・親睦会でした!家を出る前に、「デジカメ良し!筆記用具良し!お土産(ざびえる)良し!」と意気込んで家を出ました。会場に着くと皆さんお揃いで、会が始まりました。さて、コラム用に写真を撮るか!とカメラを出してスイッチを入れてみると「バッテリー切れ」(涙×100) 写真は、他に取ってる方が居たので送ってもらうようにしました。いや~「やっしもうた」(大分弁で「やっちゃった」の意)…。実は、ココのところデジカメ君の出番が多く………いや、言い訳は止めておこう…。完全なザ・太郎のミスです(涙×100) アイムソーリー、ヒゲそーりー、大友そーりん、ゴムぞーり…(嗚呼・涙)
(追加)
●操縦室よりご案内申し上げます。あまりにショックやったため漢字間違えました。「他に取ってる方」⇒「他に撮ってる方」が本来書こうと思ってた表現です。もう嫌な漢字(感じ)…(超つまらん・涙) 乗務員一同、重ね重ねお詫び申し上げます。


この章ではザ・太郎とモーハワイ★コムについて書いていこうと思います。ザ・太郎が生まれて初めてハワイへ上陸したのは1996年、小学校4年生の頃でした。当時、我家にはまだインターネットは無く、情報源はガイドブックと旅行会社のみでした。ザ・太郎の家がPCを導入したのは1998年、そしてモーハワイがゴーハワイとしてオープンしたのは1999年。ザ・太郎と、ザ・母はゴーハワイの時代からこのサイトを覗いていました。今と比べれば情報量は少なかったですが、「なんと画期的なサイトなんだ!」と思ったものです。そして時が流れるにつれ、ザ・太郎一族のハワイ旅行の際には欠かせない情報源となりました。我家には編集長の書かれた一番最初の本や、写真のTシャツもあったりします。その傍ら…ザ・太郎はあまりモーハワイが好きでなかった時期もありました(こんな事書いて良いんかな…) 口コミ掲示板を見ると「う~ん…」と思う時があったからです、だから書き込みはしませんでした(偏屈やなぁ) そんなこんなありますが、今こうやってモーハワイに携わり、コラムやブログを書いています。世の中、不思議な縁というものはあるものです…次章へ続く。
